誤錯行試

隙あらば自分語りです

スクラップアンドスクラップ

 また日記が空いてしまった。 ここ最近といえば、月曜日と火曜日に(個人的には)頑張って学校へ行って、授業も切らずに受けていた。会う人は優しくて、部室に行けば人がいて、話がまあまあ盛り上がって、楽しい気でいた。

 月曜日も火曜日も、そのまま帰らずに外食した。回転寿司とカレー屋だった。月曜日はその帰りに、外泊した。疲れつつ、いつ寝るかわからないままとりあえず向かった。そして起き、1限目に出た。火曜日にナルト、授業を受けた後、ふと後ろに目をやると同じクラスの知人がいた。友人たちと授業を受けていた。「こいつは多分そんな感じで生きていくんだろうな、特に破滅するほどの気持ちにもならず、いや、ならないほうがいいけど」と思いながら、なんだかすごく虚しくなった。じゃあ俺は?どうなんだ??

 まあまあ高いカレーを食べた後、自由が丘で小さい公園へ向かった。久しぶりに会った友人だった。閑散とした空間で、友人と二人でブランコに乗り、揺られながら小さいことを色々と話した。30分ほどいただろうか。なぜだかその時に、ふと全部が消えた気がした。自由になったのか、無関心、無気力になったのか。解放されたのか、ただの逸脱なのか。その日の帰りから、もはや完全に、授業を受ける気力を失った。

 水曜日は朝の4時ごろに起床した。最近は夜の8時に就寝して、その頃に起床することが続いていたから自然だった。それでも映画を見たりすればあっという間に時は経つ。「リメンバーミー」を鑑賞する。久しぶりに泣いた。普段はほとんど、芸術作品の類で泣かせられることもないわけだけど。心が弱っているのかもしれない。そんなこんなで時間は過ぎていた。しかし、インターホンが8時半ごろになっても、出る気にならなかった。この時、89%ぐらいは覚悟をしていたのだと思う。そして東急ストアで高めな惣菜を購入し、調理師、食べて寝た。この日も夕方に就寝した。 「ベイビー・ドライバー」を半分ほど観た。

 

 木曜日。この日も朝5時前に起床。だらだらと動画でも観つつ、この日は友人が1限で同じ授業ではないからか、インターホンはならなかった。「ベイビー・ドライバー」の後半を鑑賞する。サントラを購入したくなったが、Apple musicの共有プレイリストで我慢した。その弾みで「パルプ・フィクション」も前半を観た。気づけば洋画ばかり観ている。あんなに日曜夕方の名作シネマ選みたいなのが苦手だったのに。でもそれが苦手なのは、休日が終わることを自覚させられるからかもしれない、いわゆる「サザエさんシンドローム」みたいなものか、でも洋画を家であの感じで見るのは今も無理そうだな、一人でノートパソコンで見ないと・・・などと無駄な思案を重ねていた。そして、ふと「寝ても覚めても」をもう一度見たくなったのでシネクイントへ向かう。後から知ったが、この劇場では公開最終日だった。午後4時50分入場だったのに、なぜか見間違えて30分入場だと勘違いしていた。こういうところだ。公開から1ヶ月以上経過したのもあり、客入りはそれほどだった。睡魔に負けそうになりながら、もう一度観た。ヒロインの行動は理解不能なのだろうか、私には、彼女の要素が内在している、と思った。しかし違うところもまたある。全て投げ出して、それでも元の世界に戻ることを決意したこと、何かをやめる時、しっかりと相手の意見を聞くことだ。まず前者について、ヒロインはそのような身勝手とも言える行動を取った後も、戻ることのできる=愛を感じることのできる場所を知っていた。しかし私はまだ?わからない。延々と今いる場所を破壊し続けることもありうるだろう。後者についても、ヒロインのような「電話に出る」行動を私が取れるはずがない。このことは次の日ー金曜日に強く自覚するわけだけど。帰宅後、親に電話する。かなり話し込んでしまった。疲れていた。サークルには今の状況と謝罪をいうべきだと考え続けていたが、なかなか踏み出せず、メモだけ作って寝てしまった。

 金曜日、6時に起床。電気がつけっぱなしになっていた。「いよいよ今日だ」と思う。卓球も中国語も出なかった。外は雨が少し降っていて、どんよりとしていた。午後1時、1時半、2時近く、3時。昼食というか夕食というかその合体のような食事を作っている時、脳内ではずっと「どう切り出すべきか、伝えるべきか」考えていた。迷惑をかけることはもうどうしようもないが事実なわけで、ただ事前の相談もないまま会議前、顔合わせ前という最悪最低極まりないタイミングで消えること、その反響を受け止めるほどの度量が自分にはなかった。あったらおそらく、今サークル活動も停止しようとは思わない。3時半になる。パスタを茹でながら、鶏肉を焼きながら、相変わらず考えていた。4時になり、4時10分、15分、20分。事前に書いた長ったらしい文章を、企画責任と舞台監督に送った。どこまでの人に送るべきかは全くわからなかったし、メモをペーストした後さっさと逃げたかった。一切のメッセージから。

 ボタンを押す手は震えつつ、しかし決意でもない、諦めでもない感情とともに送信した。その5秒後、ラインアカウントを削除した。

 襲っていたのは、どうしようもないほどの無気力感だった。いったい私は、何をしたいのだろう。怖くなった。徒歩10分ほどの世界で、どのような反応があるのだろう。皆、どう考えるのだろう。おそらく私は消費される。話の種として、心配も少しはされるだろうが、「変な人」であり続ける。元気に見えたのかな。病気なんてありえない?ーーー今も、今でも、多分サークルの人に会ったら元気な人として話すのだろう。このような現状も過去のように話しながら。でもそれは「ふり」というか、もうそういう演技を行うように自動でインプットされたプログラムが発動する感じだ。社会性なのかもしれない。皆、そんなこと、無自覚のうちにやるでしょ?? たまたま自分が、それを苦手としていた、というだけだ。向いていないのだ。大学生活も。しかし、大学生活すら無理と思ってしまう自分の将来に対し、とても強い恐怖を抱くのもまた事実である。40台や50台になり、このまま生きていける?可能であったとして、それは楽しいのか?充実しているのか?惨めになりそうな未来を予想するたびいやになる。

 パスタを食べた。あまり味を覚えていない。今までがフラッシュバックした。入学、サークル、企画責任、療養、復活、真面目に通っていた頃、また療養、今。思えば、2年になる直前から休みが増えた。大学「以外のこと」をやったり、ダラダラ人に会わずに過ごすことがなければ無理になっていた。私はどうやら人付き合いがとても苦手らしい。表面上はそうでもないように見せているが。振り返るって、でもそんなに感動的でも、ロマンチックでもない。後悔も感じないほど、無気力だった。

 何とかしてテンションを上げようと曲を聴いていると、SMSでメッセージが届いた。初期にサークルに登録していた携帯電話番号宛に送ってきたのだろう。冒頭2行は挨拶だったが、それだけで限界だった。彼らが悪いわけでは決してない。私が悪いのだ。この無責任な行動を含め。「できる」というだろうか?無理なのだ。自信がない。何もやれない。どう言えばいいのだろう?電話も数回来たが出なかった。もしかしたら、姉からかもしれないけど。怖くなったり、怖く無くなったりしている。またインターホンが来たら?駅に向かったら?偶然会ったら、どう反応すべきなのか。今まで隠して来ただけで、本んとうの自分は今みたいなやつだ。自分勝手で怠惰で何もできない人間。真面目でいようと位sても、根がそうじゃないんだから意味がない。

 母親と話す。昨日より、冷静になれた気がする。通話中、もう一つのサークルでの業務も投げていることに気づく。気が向いていなかった。とはいえ、喫緊の課題である。やらねばならぬことだ。ラインが消えて、「おいおい」ってなっているのだろうな。そこで向けられたコメントに対峙する、できるほど勇敢でもない。自分も少し、落ち着いていた。中学、高校と続けて来たスクラップの経験上、私も何も感じられなくなっているのかもしれない。それは絶対に良くないこと、ではあるのだけども。休学するかもしれない、と伝えた。提出書類には病院での診断勝が必要なことも。20にもなって未だにこんな調子なのが、恥ずかしく、そして申し訳ない。日曜の夕方に、実家に帰ることになった。いつまでか、どうするかはまだ未定である。

 

 

 今に至るまで、人間関係を壊し続けて来た。コミュニティに染まるふりをして、過剰にしてしまって、何も断れなくなって、あるタイミングで「なんでこれをやるんだろう」と考えて不安になって、投げたくなって、でもどう言えばいいのかわからないし、自分がそう告げた後の反応が怖いからいつも直前になる。一番迷惑をかける。もう会わない人が大半だろうから、というか全員もう連絡手段もないんだし会わないから、また人間関係が消えた。これしかないのだ。きっと。私はこうやって生きていくほかない、その絶望を、もはや受け入れられるぐらい、今の私はそこまでして楽になりたい、そう思っている。果たしてなれるのだろうか?それは誰にもわからないけれど。東京はカフェも多くて、映画もあって、カルチャーが盛んで、いろんな経歴の人がいて、素晴らしいところだからこそ帰るのは敗北のような気がしてまた辛い。馴染めなかったとはいえ、少し元気になったら(もしくは元気というより、「真面目で焦りがちな面」が復活したら)、確実に周囲の人間のそれからを想像して辛くなるのだ。社会的ステータス、収入などを勘定に入れるなら、成功か敗北かでいえば、敗北者であることは確実なのだから。自分がやりたいこと? が見つかればいいが。