誤錯行試

隙あらば自分語りです

眠れないので書く記事 その3

その中で、ある必修単位を落としてしまった。一回も授業に出席していない友人が余裕の面持ちで会話している中、自分の要領の悪さを呪った。心底馬鹿だ、と思った。

夏休みの間、将来が不安で仕方なかった。来年も必修単位に追われる、とか、単位不足分をどう補おうとか必死になって考えた。自己啓発本を買って、知恵袋を見て、はてなも見た。友人にも会い、サークルにも参加した。しかし、どうやったって自分の中に存在する「自己肯定感の欠如、ネガティブさ」が消えることはなく、むしろ増大した。中学校時代、高校時代のコンプレックスを刺激されたかのような気さえした。「所詮俺は失敗した人間で、いくら頑張っても頑張りきれないのだ」と。

なんのために頑張っていたのか、という問いにも答えが出なかった。大学受験、そして今日に至るまでの日々は結局、長い時間を、そして少なくない金をかけた「自己満足行為」でしかないのかもしれない。就活もゼミもGPAも周りにいる友人にも影響されたくなかった。それらを耳にするたび、目にするたびに自分の愚かさを自覚させられる気がしたのだ。

 

以上が私の休学に至った精神的要因である。 うまく伝わるか気がかりではある(文章力が欠如しているため読みづらいのはご理解願う)が、一応書き残しておく。

眠れないので書く記事 その2

私が英語の成績が良いことを自覚し始めたもその頃だった。英検は受けるたびに合格したし、模試での成績もコンスタントに74あたりの偏差値をキープしていた。数字が上がることが、順位やランクが上がることが喜びだった。

とても卑しい考えだが、その頃は予備校で進学校の生徒を見ながら「自分がこのレベルの高校にいるのはおかしい」と、思っていた。中学の失敗、高校でのコンプレックスが肥大化していくのを、止められないでいたのだろう。

 

このような(長い)背景があったので、晴れて入学を迎えた際は気持ちが舞い上がっていたのを覚えている。頭の中に浮かぶのは大手企業、東京、留学、エリート・・・自分はもう「レール」に乗ったのだと、信じて疑わなかった。

その後はサークルにも所属し、充実していた。学業面でも英語で行う授業をとったり、ハイレベルクラスに所属したりと得意な分野を生かそうと積極的に行動していた。

しかし2年の春、「このままじゃいけない」と強く思うようになった。語学のクラスでは早くもインターンを経験している人、実際に留学を考えている人、体育会系部活に精を出す人など、バラエティに富んだ活動を、皆必死に行なっているように見えた。 比べて自分は? 何か残したのだろうか? このままでは、「学生時代頑張ったこと」がない、焦った私はとにかく様々なことに手を出した。 ある時はインターン説明会にも行き、ある時は留学相談会に向かい、またある時は英会話教室の体験を複数受けた。焦りと不安に突き動かされていた。

同様の現象は、学業でも起きていた。2年後期にはゼミが決まり、一部ではGPAを考慮すると発表されていた。それに、近くにいる人々はみなGPAが高かった。まるでそれが当たり前のように振舞う姿を見て、私の中の焦燥感が高まってしまった。

今思えば、この頃も毎日寝られなかった。 朝ちゃんと起きられるかを気にして、夜も課題をやり切らないと心配で仕方なかった。テストの1ヶ月前から心配が止まず、そのストレスは散財でやり過ごした。それでも心の疲弊は取れず、なんとテスト期間になって勉強をストップしてしまった。

なんのために勉強しているのか、なんのために高い成績を取ろうと頑張っているのか、全くわからなくなった。

 

また次回へ続く・・・次回で終わらせられるように頑張ります

眠れないので書く記事(自分語り)

タイトルにもある通り、眠れない。 

数日ぶりに薬を飲んだからだろうか*1。頭もなぜか冴えているので、やることもなく色々と考えてしまう。

 

今の大学に入学することは、私にとって大きな目標だった。

 

中学校時代、不登校を経験した。周りが怖くて、気づけば何も言えなくなってしまった。授業中、例題の答えがわかっても手を上げられない。注目されることが何よりも怖かった。今でも忘れられない、中学校1年生の冬休み明け初日、今日と同じように、寝られなかった。2年になっても2年になっても、私の気持ちは安定しなかった。学校生活が何か、将来がどうなるのか、想像できなかったし、したくなかったのだろう。

しかし、中学3年になると、いやでも将来を意識させられる。高校進学をどうすべきか、通信か普通か、自分なりに考えた。なんとか学校生活をやり直したくて、週5日通うような、"普通の"高校生をやってみたくて、普通科に出願した。ランクもひどく、当日のテストの出来も優秀とは言えないものだったが、なんとか合格できた。偏差値が五十にも満たない、当時定員割れを起こしていた高校だった*2

いざ高校に入学するも、中学の卒業式にも出られなかった人間がいきなり集団に馴染めるわけがなかった。そんな自分でも、声をかけてくれた人がいた。しかし、話題を振られると、おどおどしてしまう。自分の意見が言えない。そこは昔からちっとも変わっていなかった。 次第に、私は「いじられキャラ」になった。会話を無理やり捻じ曲げられ、慌てた時に発した言動がまたネタにされた。友情がなんなのか、わからなくなった。 自分に柔軟さがないのがいけないのか、と責めたりもした。 結局また、1ヶ月ほど学校へ行けなくなった。

こうして、失敗に失敗を重ねたと思った私が、変わる最後のチャンスが大学受験だと(今思えば少し笑えるが)本気でそう思っていた。人間関係の構築をし直すというより、ステータスが欲しかった。大学はいわばチケットのようなものだ。良いチケットを手に入れて、良い就職を手にして、いい人生を送る。陳腐だが、本気でそう思っていた。でも、なんのために? 自己満足だ、と思う。ただ私は、思春期の嫌な記憶を、「それでも成功者の称号を手にできた」と思うことで上塗りしようと考えていたのかもしれない。 こうして私は、今の大学を受験を視野に入れ始めた。

 

思ったより長くなったので次回へ続く

*1:薬を飲んだり飲まなかったりするのは、薬の副作用の怠さ、突如訪れる眠気がきついからである。とは言え、医師の判断なしに勝手にやっていることなので真似しないように、念のため

*2:それでも当時はかなりギリギリ合格だった

休学するにあたって

しばらくブログ更新が空いた(パスワードを忘れてただけ)。

この間に、引きこもり状態からの復帰→一人暮らしとの両立困難、朝起きられない→自信喪失→登校しない日々が続く・・・ と、とにかく様々な出来事に見舞われた。

 

登校しない日々の中で、メンタルクリニックや 大学のカウンセリングシステムを複数回利用した。向精神薬も処方してもらった。 その上で思うのは、大学を続けていけるのか、どうすれば良いのかというのは結局自分次第であるということだ。占い師にでも相談すれば話は別かもしれないが、カウンセラーも精神科医も、決断を促すことは決してしないし、親でさえ(これは家庭によるかもしれないが)子供の意向を尊重すると来れば、自分だけが自分の将来を決定することになる。

正直、今の自分には大学で何をしたいのか、展望がまるっきり見えない。そんな展望だの将来だの考え込むなと言われそうだが、将来や学業での目標を常に持ちながらやってきた自分にとって、それがなくなった上で通い続けるのはきつい。 

加えて、現時点で私には危機感がない。 わざわざ現時点で、と書いたのは服薬する以前はバリバリ危機感や焦燥感に駆り立てられ、それらに潰されてしまったからだ。

精神薬の効用か、そのような精神に悪影響を及ぼす類の考えは一旦なりを潜めたものの、同時に物事のほとんどを考えないようになってしまった。大学に行かなければ、大卒の資格がなければ、就職を考えなければ・・・といった、自身に課す事項を全て取っ払ってしまっている。言い換えれば無気力なのかもしれない。特にこれといった趣味もないし。 しかし、頭のどこかで「せっかく志望大学に入ったのだから、卒業した方が、いいのかもしれないなあ」という、"なんとなく良さそう思考"はかすかに存在しているし、決断を急ぐ理由もこれといってない。

さらに言えば、ある講義には一回も出ていないことや、無気力で学習意欲もない現状では単位が取れるはずがない。GPA制度が導入されているので、取得できなかった単位には容赦なくDがつくし、それが大量発生するのも困る、という考えも頭の片隅にあった。

以上を踏まえて、とりあえず休学という選択肢を取ることにした。

私はきになる話題やワードをすぐ検索する癖があるので、今回も例に漏れず「休学」やら「休学 うつ」やらでググったものの、出てくるのは割とポジティブな理由でのものばかりだった。 インターンで休学とか、自分探しで休学とか。詳しい統計データなどは見ていないが、やはりネガティブな休学は少数派なのだろう。

実際、自分でもこの休学という選択がどう働くかはわからない。悪く言えば"先延ばし"にしているだけかもしれないし、人や外の環境に触れないことで、さらに物事への意欲が失われてしまう可能性もある。その可能性は結構高い気がする(何せキュ学中の具体的プランなど皆無なので、毎日引きこもってしまうかもしれない)。

このブログを通じて、一人でも同じような境遇にある人がなんらかの参考にしてくれるなら、と思い休学について、その間の生活について記していこうと思う。

結果としてこの決断がポジティブな帰結に繋がるならベストだが、違う方向を向くようになっても納得できるならそれはそれでいい気もする。

母親

 

10月7日から、実家に10日ほど帰省していた。

療養というか、とりあえずゴミが散乱する部屋や友人含めた人間関係、大学そのものから自分を遠ざけたかったのだと思う。その後のことは想像できないまま(というか、したくなかった)、実家に戻った。 帰省についての話は複数回にわたって書いて行ければ、と思う。

 

 

 

話は変わるが、私の母親は日本語が得意ではない。大学に関わる単語も知らないようだし、以前「家賃」という単語も通じなかった(月々払う住宅料金が存在することはもちろんしていたが、それが家賃という単語とイコールであることは知らなかったようだった)。加えて、私が二者択一で迷っている際にも特に強制はしない。耳が遠く、記憶力もあまりない。

最低だがつまるところ、話しているととてもイライラするのだ。何も聞いていない、理解できていないように思えて仕方ないし、言葉の壁もあるし、いくら指摘してもそのままであることに対してかなり腹が立ってしまう。そして私は電話口で母親に対して説教を始めるのだ。

「何回言えばわかるんだ」

「普通の家に生まれたかった。こんなに話が通じないのは耐えられない」

「子供に説教されることが恥ずかしいことであると自覚しろ」

結局のところ、上のような発言をしたところで母親が母親であることに変わりはない。聴力や記憶力などは自分一人で改善できるようなものではないし、語学力についても五十を目前とした状態で(母国でも小学校で教育課程を止めた人間が)劇的な成長など見込めないだろう。意味がないことなのだ。しかしそれをわかっていても、負の気持ちをぶつける事しかできない、電話を終えた後いつもその事に自覚的になる。そして私は、私自身こそが欠陥であることを意識する。とても強く。

 

自分を葬る

実家へ戻る前日に、最寄り駅で散歩をした。

土曜日の昼下がり、なんてことない日だった。家族連れが多い。

半分死んだような顔で歩く。もっとも、表情を頑張る気力が失われていただけで、心は少し、弾んでいた。商店街を、長くまっすぐの散る道を少しずつ歩く。だんだんと自分が知らないところにまでひらけてくる感じがした。しかしそれは、駅からまた離れることを意味していたから、歩けば歩くほど街は華やかさを失い始める。言い換えれば、ただの住宅街が続いていた。AOKIや吉野家やよく分からないカラオケ屋。まるで郊外だな、なんて思いながら、これが東横線から20分歩いた光景か、地元と大して変わらない、と謎のノスタルジーさえ感じていた。せっかくあるき続けたんだから、「何か」を持ち帰りたい、と謎の根性が働き、その後も歩いていた。

ふと、あるマンションの前で立ち止まる。マンションの前に新たな集合住宅が建設され始めていた。なんかいいな、と思って写真を撮る。スマホの画面に残った写真も「なんか良さそう」なものだった。そこ、どまりなのだ。プロトの差はその違いなのかな、などと適当なことを考えているとある女の子が近くを通った。マンションの入り口あたりで母親らしき女性と会話している。夕飯の下りだっただろうか、詳しい内容は今となっては失念してしまったが、とにかく母親と会話していた。

その光景に遭遇した時、なんとも言えぬ感情に襲われた。後悔?羨望?

ただ、後者に近いのかもしれない。なんとか表現するならば。別に頭がいいとかどうでもよくて、もう少しまともに人生を歩みたかったな、とは常々思うから。戻らない、戻れない頃を思い出したのかもしれない。

スクラップアンドスクラップ

 また日記が空いてしまった。 ここ最近といえば、月曜日と火曜日に(個人的には)頑張って学校へ行って、授業も切らずに受けていた。会う人は優しくて、部室に行けば人がいて、話がまあまあ盛り上がって、楽しい気でいた。

 月曜日も火曜日も、そのまま帰らずに外食した。回転寿司とカレー屋だった。月曜日はその帰りに、外泊した。疲れつつ、いつ寝るかわからないままとりあえず向かった。そして起き、1限目に出た。火曜日にナルト、授業を受けた後、ふと後ろに目をやると同じクラスの知人がいた。友人たちと授業を受けていた。「こいつは多分そんな感じで生きていくんだろうな、特に破滅するほどの気持ちにもならず、いや、ならないほうがいいけど」と思いながら、なんだかすごく虚しくなった。じゃあ俺は?どうなんだ??

 まあまあ高いカレーを食べた後、自由が丘で小さい公園へ向かった。久しぶりに会った友人だった。閑散とした空間で、友人と二人でブランコに乗り、揺られながら小さいことを色々と話した。30分ほどいただろうか。なぜだかその時に、ふと全部が消えた気がした。自由になったのか、無関心、無気力になったのか。解放されたのか、ただの逸脱なのか。その日の帰りから、もはや完全に、授業を受ける気力を失った。

 水曜日は朝の4時ごろに起床した。最近は夜の8時に就寝して、その頃に起床することが続いていたから自然だった。それでも映画を見たりすればあっという間に時は経つ。「リメンバーミー」を鑑賞する。久しぶりに泣いた。普段はほとんど、芸術作品の類で泣かせられることもないわけだけど。心が弱っているのかもしれない。そんなこんなで時間は過ぎていた。しかし、インターホンが8時半ごろになっても、出る気にならなかった。この時、89%ぐらいは覚悟をしていたのだと思う。そして東急ストアで高めな惣菜を購入し、調理師、食べて寝た。この日も夕方に就寝した。 「ベイビー・ドライバー」を半分ほど観た。

 

 木曜日。この日も朝5時前に起床。だらだらと動画でも観つつ、この日は友人が1限で同じ授業ではないからか、インターホンはならなかった。「ベイビー・ドライバー」の後半を鑑賞する。サントラを購入したくなったが、Apple musicの共有プレイリストで我慢した。その弾みで「パルプ・フィクション」も前半を観た。気づけば洋画ばかり観ている。あんなに日曜夕方の名作シネマ選みたいなのが苦手だったのに。でもそれが苦手なのは、休日が終わることを自覚させられるからかもしれない、いわゆる「サザエさんシンドローム」みたいなものか、でも洋画を家であの感じで見るのは今も無理そうだな、一人でノートパソコンで見ないと・・・などと無駄な思案を重ねていた。そして、ふと「寝ても覚めても」をもう一度見たくなったのでシネクイントへ向かう。後から知ったが、この劇場では公開最終日だった。午後4時50分入場だったのに、なぜか見間違えて30分入場だと勘違いしていた。こういうところだ。公開から1ヶ月以上経過したのもあり、客入りはそれほどだった。睡魔に負けそうになりながら、もう一度観た。ヒロインの行動は理解不能なのだろうか、私には、彼女の要素が内在している、と思った。しかし違うところもまたある。全て投げ出して、それでも元の世界に戻ることを決意したこと、何かをやめる時、しっかりと相手の意見を聞くことだ。まず前者について、ヒロインはそのような身勝手とも言える行動を取った後も、戻ることのできる=愛を感じることのできる場所を知っていた。しかし私はまだ?わからない。延々と今いる場所を破壊し続けることもありうるだろう。後者についても、ヒロインのような「電話に出る」行動を私が取れるはずがない。このことは次の日ー金曜日に強く自覚するわけだけど。帰宅後、親に電話する。かなり話し込んでしまった。疲れていた。サークルには今の状況と謝罪をいうべきだと考え続けていたが、なかなか踏み出せず、メモだけ作って寝てしまった。

 金曜日、6時に起床。電気がつけっぱなしになっていた。「いよいよ今日だ」と思う。卓球も中国語も出なかった。外は雨が少し降っていて、どんよりとしていた。午後1時、1時半、2時近く、3時。昼食というか夕食というかその合体のような食事を作っている時、脳内ではずっと「どう切り出すべきか、伝えるべきか」考えていた。迷惑をかけることはもうどうしようもないが事実なわけで、ただ事前の相談もないまま会議前、顔合わせ前という最悪最低極まりないタイミングで消えること、その反響を受け止めるほどの度量が自分にはなかった。あったらおそらく、今サークル活動も停止しようとは思わない。3時半になる。パスタを茹でながら、鶏肉を焼きながら、相変わらず考えていた。4時になり、4時10分、15分、20分。事前に書いた長ったらしい文章を、企画責任と舞台監督に送った。どこまでの人に送るべきかは全くわからなかったし、メモをペーストした後さっさと逃げたかった。一切のメッセージから。

 ボタンを押す手は震えつつ、しかし決意でもない、諦めでもない感情とともに送信した。その5秒後、ラインアカウントを削除した。

 襲っていたのは、どうしようもないほどの無気力感だった。いったい私は、何をしたいのだろう。怖くなった。徒歩10分ほどの世界で、どのような反応があるのだろう。皆、どう考えるのだろう。おそらく私は消費される。話の種として、心配も少しはされるだろうが、「変な人」であり続ける。元気に見えたのかな。病気なんてありえない?ーーー今も、今でも、多分サークルの人に会ったら元気な人として話すのだろう。このような現状も過去のように話しながら。でもそれは「ふり」というか、もうそういう演技を行うように自動でインプットされたプログラムが発動する感じだ。社会性なのかもしれない。皆、そんなこと、無自覚のうちにやるでしょ?? たまたま自分が、それを苦手としていた、というだけだ。向いていないのだ。大学生活も。しかし、大学生活すら無理と思ってしまう自分の将来に対し、とても強い恐怖を抱くのもまた事実である。40台や50台になり、このまま生きていける?可能であったとして、それは楽しいのか?充実しているのか?惨めになりそうな未来を予想するたびいやになる。

 パスタを食べた。あまり味を覚えていない。今までがフラッシュバックした。入学、サークル、企画責任、療養、復活、真面目に通っていた頃、また療養、今。思えば、2年になる直前から休みが増えた。大学「以外のこと」をやったり、ダラダラ人に会わずに過ごすことがなければ無理になっていた。私はどうやら人付き合いがとても苦手らしい。表面上はそうでもないように見せているが。振り返るって、でもそんなに感動的でも、ロマンチックでもない。後悔も感じないほど、無気力だった。

 何とかしてテンションを上げようと曲を聴いていると、SMSでメッセージが届いた。初期にサークルに登録していた携帯電話番号宛に送ってきたのだろう。冒頭2行は挨拶だったが、それだけで限界だった。彼らが悪いわけでは決してない。私が悪いのだ。この無責任な行動を含め。「できる」というだろうか?無理なのだ。自信がない。何もやれない。どう言えばいいのだろう?電話も数回来たが出なかった。もしかしたら、姉からかもしれないけど。怖くなったり、怖く無くなったりしている。またインターホンが来たら?駅に向かったら?偶然会ったら、どう反応すべきなのか。今まで隠して来ただけで、本んとうの自分は今みたいなやつだ。自分勝手で怠惰で何もできない人間。真面目でいようと位sても、根がそうじゃないんだから意味がない。

 母親と話す。昨日より、冷静になれた気がする。通話中、もう一つのサークルでの業務も投げていることに気づく。気が向いていなかった。とはいえ、喫緊の課題である。やらねばならぬことだ。ラインが消えて、「おいおい」ってなっているのだろうな。そこで向けられたコメントに対峙する、できるほど勇敢でもない。自分も少し、落ち着いていた。中学、高校と続けて来たスクラップの経験上、私も何も感じられなくなっているのかもしれない。それは絶対に良くないこと、ではあるのだけども。休学するかもしれない、と伝えた。提出書類には病院での診断勝が必要なことも。20にもなって未だにこんな調子なのが、恥ずかしく、そして申し訳ない。日曜の夕方に、実家に帰ることになった。いつまでか、どうするかはまだ未定である。

 

 

 今に至るまで、人間関係を壊し続けて来た。コミュニティに染まるふりをして、過剰にしてしまって、何も断れなくなって、あるタイミングで「なんでこれをやるんだろう」と考えて不安になって、投げたくなって、でもどう言えばいいのかわからないし、自分がそう告げた後の反応が怖いからいつも直前になる。一番迷惑をかける。もう会わない人が大半だろうから、というか全員もう連絡手段もないんだし会わないから、また人間関係が消えた。これしかないのだ。きっと。私はこうやって生きていくほかない、その絶望を、もはや受け入れられるぐらい、今の私はそこまでして楽になりたい、そう思っている。果たしてなれるのだろうか?それは誰にもわからないけれど。東京はカフェも多くて、映画もあって、カルチャーが盛んで、いろんな経歴の人がいて、素晴らしいところだからこそ帰るのは敗北のような気がしてまた辛い。馴染めなかったとはいえ、少し元気になったら(もしくは元気というより、「真面目で焦りがちな面」が復活したら)、確実に周囲の人間のそれからを想像して辛くなるのだ。社会的ステータス、収入などを勘定に入れるなら、成功か敗北かでいえば、敗北者であることは確実なのだから。自分がやりたいこと? が見つかればいいが。